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No.100 ただ在るだけの、

10 10, 2014
 人影のない砂浜はごく薄い白のような青に覆われていた。そこは波の音だけがすべての秩序を統べていて、ほの暗い海のにおいは私がこの世に生まれたときから、私をずっと突き動かしている。海という居場所は、幼い頃から私にとって身近なものであり、不思議なものだった。目の前に海があれば、寒くても素足を差し出した。この身に耐ええる水温ならば春でも秋でも、服を着込んでいようがかまわず海に飛び込み両親を呆れさせた。果てのない水平線がいつ空に溶けるのか、波間に浸りながら飽きることなく沖を眺め続けた。
 アウトドア好きの両親に恵まれた私は、物心つく以前から多様な土地のキャンプ場や旅館を訪れ、そこに生きる自然と向き合っていた。森や湖川、山と海のそばなど日本中の至る所に思い出の場所があって、どの記憶がどの場を指すのかひとつひとつ覚え切れないほどだ。土日に友達と遊んだ記憶は少ない。休日の友はもっぱら植物や虫、土や水で、それらはやさしく厳しい遊び相手だった。テントを準備する親をそっちのけて駆け回り、その土地をかたどる自然の息吹を肌で感じた。私は何もないところから、何かを生み出すことが好きになった。知らぬ間に自然とともに遊ぶ術を身につけた。
 自然を相手に遊んできた私は、どこまでが許されてどこから危険になるのか、幼いながら理解していた。自然には踏み込んで良いところと悪いところがあることを知っていた。両親は自然と遊び慣れる私を放任し、私は自然と接する引き際を注視しながら、弟と多くの探検に出かけた。
 そうした記憶の中で、大人になった今でも印象強く覚えていることがある。
 それが、人影のない夜明けの砂浜を独り歩いたときだ。夏か秋がはじまる頃のことだった。
 いつもは遊び疲れて朝まで熟睡しているというのに、その日は薄暗い藍色のなかで目を覚ました。テントの屋根は光を透過し、時計を見なくても朝日が近いことはすぐにわかった。長く自然と接すれば、子どもの胸にも自然が宿る。一時間もかけず太陽が現れるだろう、と、私は思って寝返りを打った。
 家族は皆すやすやと眠っていたが、目を覚ました私はそれから妙に寝付けなかった。夜中の涼しさは、子どもの体温にちょどいい。波の音は子守歌のように聴こえている。テントの寝心地はとても好きだった。家よりも、私はテントの生活を気に入っていた。ずっとテントで暮らしたいと思うくらい、私は生まれたときから生粋のアウトドア好きだった。
 ところで、深い夜を一人でテントの外へ出ることだけはしなかった。暗すぎる夜は、幼い身の丈に合わないものだと自然に私は学んでいた。トイレに行きたいときも私は親を起こした。自然の中にいるということは危険と隣り合わせだと、両親に言われるまでもなく知っていた。それに、私は恐がりなところもあった。
 けれど、この夜明けの日だけは違っていた。波の音に海のにおいがくっついている。私は朝靄に包まれる前の風景が見たくなった。私は身体をそっと起こした。四人用のテントは、五歳の子どもでも数歩で出口に辿り着く。チャックできっちり閉じられた出入り口をゆっくり開けて、顔だけを外へ出していた。
 点在する林の先に防波堤がよく見えた。それを乗り越えた向こう側が砂浜だった。あたりを照らす外灯に気づかないほど、天上は宇宙の彩度を薄めていた。地面に落ちる草木の葉や根がはっきりかたちを成している。
 波の音がより明確に耳に届いた。まるで、招いているようにそのときは聞こえていた。子どもが一人で夜の外を歩くのは危険だ、と、自分でもわかっていた。しかし、その気持ちを制して外に出ようと思った。生まれたときから数え切れないほど旅行やアウトドアを経験している。その中で、これほどまでに突き動かされた衝動を感じたのははじめてだった。そして、そのときだけだ。高校受験生になるまで、長い間そうした旅行の日々を送っていたが、女子一人でキャンプ場を出歩いたのは後にも先にもない。
 幼い私はその波の音を頼りにして、身を乗り出した。両親に内緒でそっとテントを出る。サンダルをはいて、布の扉をきっちり閉める。世界は木と海の香りに満ちていた。すべてがまだ寝静まったままだった。
 一人きりの私は周囲を用心しながら、すぐそこにある海を目指して歩いた。無骨なコンクリートの防波堤の間を通り抜ければ、ちいさい足は白い砂に埋もれる。昨日たくさん遊んだ浜にひょこひょこ歩いて行き着くと、私は履き物を脱いで裸足になった。
 前日の夕焼けまで泳いだ海だ。波の隆起でできた小高い砂地を少し降りる。私の足跡だけが残る砂地から正面を見る。そして顔を天上に反らした。
 広がる景色はよく知っているもののはずなのに、生まれてはじめて来た場所のように感じた。時刻が変わると、ここまで雰囲気が変わるのか。私は見たことのない色に立ち尽くした。
 人も動物も浜辺には存在していけないような空間が広がっていた。空が薄い白と青の層を重ね、その中でも瞬く星が確認できた。波は生きているように何度も砂を打つ。その音を繰り返す凪いだ海は、吸い込まれそうな深い色をしていた。畏怖を感じる私の中に、飛び込みたくなるような甘いしびれが通った。海風に身体が溶けていくようだった。
 美しいと思った。
 自然をただただ美しいと思ったのは、幼い身でこのときがはじめてだった。何の作為なく存在する美しさに圧倒されていた。この不思議な景色をなんと呼べばいいのか、拙い私は言葉を探した。その答えは大人になった今でも出てこない。
 ただ、これは私のものだ、と、強く思った記憶がある。
 この世界は今、私だけのものだ。
 そう、大声で叫んでも許されるだろうという確信が心の中にあった。独りの浜辺を、私は日の出の少し前まで歩き回った。私の海と空と砂を瞳と胸の中に刻み、空気をいっぱい吸って吐くことを繰り返した。押し寄せる波と同じだ。この美しいすべてを独り占めできる幸せを噛みしめた。寂しさより、満たされていた。
 今は思い返せば、一人きりだったはずの幼い私は、あのとき誰もいない景色の中で独りではない感覚を持っていた。キャンプ以外でも、一人きりで家を飛び出して神社や自然のある場所へ赴くことは多々あった。どの場でも、一人きりで日が暮れるまで遊んでいた。でも、そこには常に誰かがいるような感覚があった。何かに会いに行くように、私は一人でその場所へ向かうことがあったのだ。
 あの浜辺の記憶にも、そうした誰かに会ったような感覚が強く残っている。風が首の付け根を撫でるように当たっていた。生ぬるい感触だった。
 この景色は、あなたのものよ。
 右の耳元で誰かがささやく。人のようで決して人ではない、女性のような響きをした言葉のかたちは、風を伝って心に溶けた。この世界で独りぼっちであるはずなのに、自然に溶ける感覚がたまらなく愛しかった。地球でたとえただ独りきりになっても、この景色をずっと眺められるならばかまわないと思える想いが、あのときにも芽生えた。ずっと私一人きりの世界であればいいのに、と、幼いながら本気で思ったのだ。
 あの甘い孤独への情動はずっと胸の内に残り、大人の今になっても焦がれている。幼いころに不思議な感覚と何度も交わり魅入られている。五感よりももっと原始的なところに触れる、尊い感覚だ。
 私はあのときの場所を探している。独りでいるのに独りではないという、あのときの感覚のそばにいた、何かを見つけるべく、大人になった私は時おり自然の中へ還った。循環を続ける自然からそのより糸を手繰る。
 子どもだから、簡単に見つけられたものだったのだろう。それは成長してから自然に触れて気づいた。理性であの感覚を辿れば辿るほど、手元に残った記憶はこぼれていくようだった。あのとき、誰か人が居たのかもしれない。幻想だったのかもしれない。その迷いに答えを見つけたくて、私は目に触れた気になる場所に行く。手応えはあまりなかった。
 考えてはいけないのだ。きっと、そのかたちを故意に探してはならない。
 大人は愚かだ。あの大切な感覚を退化させてしまう。子どもの私は意識をすることなく、当たり前のように自然を愛し友達にしていたのだ。彼らは良き遊び相手であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 子どもの頃に得た不思議な感覚に、いつしか私は執着することをやめた。山や海へ旅行に行くのは、ただ単に都心に住むようになった自分の安定剤のひとつとなった。
 欲してもどうしようもない。探すまでもなく、あれたちはただ在るだけだ。

 その風が、川の下流に沿って吹いていた。
 秋の迫る森がざわざわと揺れる。いくつか並ぶロッヂのひとつをねぐらにして、私は久しぶりに一泊旅行を楽しんでいた。テントのいらないアウトドアは気楽に友人たちと計画できる。レンタカーを借りて、都会からほど近いキャンプ場を選んだ。就寝後の数時間を経て、深みの増した夜は生き物が息を潜める。
 私は外に出ていた。カーディガンの裾がはためく。ドアの鍵を閉めて、数段の階段を降りた。外灯はあるが、独りで歩くには静かすぎて暗い。夜目が利くまでゆっくり歩いた。
 風は秋の土と木々のにおいを含んでいる。水は冷たくおいしかった。昨晩した屋外の夕食は、皆で持ち寄った食材と酒で盛り上がった。その分、蚊の標的にされて夕食後は刺された痒みに別の盛り上がりをみせた。今は虫さされより睡魔が勝つ時間帯だが、翌朝はまたこの話で騒がしくなるだろう。
 私も数カ所の虫さされを引きずって、夜の拓かれた森を歩いていた。虫は得意だが、刺されないように虫よけスプレーを施して外へ出た。そこまでして、野外に出る理由があった。
 この身を撫でる風に、手繰り寄せた感覚があった。私はいまだ目に見えないものを信じていた。理性や感性でとらえるものと違う、私の思考とは別の場所で導き出され提示されたものとそれは似ていた。ポンと放り出されてたものが、手の中に転がってきたようなものだ。
 私は、今のこの感覚が、幼いころにあたりまえのようにつかんでいた感覚と同じであることを願った。
 少し離れたところにあるテーブルのベンチに腰を下ろす。そこは夕食のバーベキューで使われた場所だった。水場が近くにあり、茂る木々が何度もそよいだ。数台備え付けられた厚みあるテーブルは木製だ。指でなぞる。吹きさらしで凹凸になった表面は薄く湿っていた。もろい灯火を葉の茂った木枝がふさぐ。私は風の音を聞きながら、肘を立てて頬杖をついた。
 とても静かに押されていた。時刻は日の出にまだだいぶ足りない。顔を反らして見上げた空は宇宙と同じ闇の色で、星は薄い雲と月の光に負けて姿を隠している。星座をなぞることはできなかった。幼いときよりも、自然にたいする知識は増えた。しかしそれは、人間として生きることで学んだものだ。
 おそらく、自然の中で走り回っていた幼い頃のほうが、かれらのことをよく理解っていたのだ。
 それらは記憶として残らなかった。経験として、感覚だけが手元に残った。だから、この衝動に否定することはできなかった。頭で、考えてはダメだ。そこに、居るのではない。
 大気だけが奏でる音を見回す。風が背中をなで、私は振り向いた。木々を伐ってつくられたちいさな広場があった。その奥にロッヂが並ぶ。一人きりの情景は、寂しさとは違う感情を生み出した。私は森に目を戻した。
 ひとのかたちが現れていた。
 夜が明けるときの空の色をしたかたちが、私のテーブルへ向けて歩いていた。風のにおいも天上の色も、何もかも変わらない。私はついていた肘をはずして、背を正した。
 遠い昔、浜で会ったものとは違っていた。しかし、同じにおいのするものだった。見た目としての性別が違うだけだ。それも、この土地に沿うかたちであってかたちに深い理由はない。その存在にこそ理由はない。かれが、私の前に立って在った。
 この夜を、きみにあげにきたよ。
 空気を使わず言葉が鼓膜の奥に落ちた。声という振動は必要なかった。かれが、なつかしいものを見るようにほほえむ。
 「居る」のではなく、「在る」のだと気づいたのはいつだったのか。
 すべてはただ在るだけだ。ただその土地に在って、見えずともすでにかたどられている。それ以上でもそれ以下でもなかった。かれらは常にそこに在った。この情景を統べるそのものだ。生きるすべての価値が、満たされて循環する。
 私は、かれを見上げてほほえんだ。

 あなたたちに、また逢えた。
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