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第24話目◇長編『下がり葉の猫』

12 12, 2015

 年末に新調した手帳は、去年よりも厚みがあった。初月からスケジュール欄は文字の羅列で埋まっているが、四月の項目はさらに多い。しかも大半が来月も続く固定の仕事だった。
 和風カフェで行なわれる出張教室が、これから週に三度行なわれている。カフェに出勤するのは今までと変わらず週四回。プレ教室は三月に比較的好評を得て終了していた。似たような煎茶道のミニ教室は土曜日の夕方に一ヶ月単位ではじまることになった。本格的なものよりも、家でもできる玉露の入れ方や歴史、着物の着付けの講義を混ぜたようなミニレッスンのほうが、気軽に学びやすいようで、土曜日の出張教室が今のところ登録人数が最も多い。はじめてみないと詳しい判断はつかないが、この手のほうが、定員人数も増やすことができるから文乃にとっても楽だ。
 しかし、利益を除外して日本作法を教えたい文乃としては、あくまでメインを平日の夜の着付けと煎茶道に置いていた。少人数制で定員には至っていないが、この付近の大学に通う大学生の動向を見て、五月から新たに一回教室をつくるのもありではないかという話もでてきている。同時に、浴衣の着付け教室をつくるのもいいだろう。来週からようやく教室が開講されることは文乃よりも、湯川のほうが楽しみにしているようだった。
 文乃の責任は重大で仕事の合間に考えることも多い。すべては文乃の技量と客足次第である。湯川の気の向くままに風呂敷を広げてしまうと、後始末に苦労するのは文乃だ。忙しい中でも周囲の状況をうまく見ながらしっかりステップを踏んで前に進みたかった。最悪、出張教室が終了しても、文乃の家で現行の教室が続いているわけだから、誘導すれば良い話である。そのあたりは湯川も了承済みだ。
 四月から、カフェの客層は明らかに少し若返った。湯川のリサーチでは大学生が増えているという。同時に客側の滞在時間も少し延びている。来週中には煎茶道教室を追加するか決めなければならない。
 どちらにせよ、このカフェに関わることは六月以降も続く可能性が高かった。春までの契約と決め込んでいた文乃ではあったが、今の状況は心機一転でやる気に満ちている。多忙で時間に余裕がなくなったことは事実だが、それをやりくりするのも苦ではなくなっている。不安も大いにあるが、はじめてみなければわからないことであるし、忙しさは慣れれば上手に日常となって組み込まれていくことを文乃は知っていた。
 唯一気がかりなことは、茅世と接する時間が大幅に減っていることだ。春までだからといっていたのに、春以降も外仕事が続く。茅世はそのことを喜んでいたようだが、これらも多くの時間を独りで過ごす日々が続くことになる。彼女にとって、それは果たして良いことなのだろうかと文乃は思ってしまう。
 時おり茅世が家を出て、どこかに行っていることは知っている。どこで何をしているかまで文乃は知らなかった。文乃が関われない分、茅世が見つけたところで苦痛なく楽しんでいればいいと願うしかない。前にケガをしてきたことがあるのだから、多少心配もしている。茅世を信じるしかなかった。最近の彼女は特別変わった様子はなく、文乃がかえってくれば喜んで玄関まで来るし、台所で文乃の料理づくりを熱心に鑑賞している。季節が冬から春に移ったことも彼女の気分を上向きにさせるよい効果となっているようだ。
 文乃は茅世に、明日だけ外出はしないでね、と、念押しをしている。その理由は、彼女のスケジュール表に書かれていない。
「なんか、いいことあった? 手帳見てニヤついてさ」
 耳元近くで聞こえてきた男の声に、文乃は振り返った。パティシエの晴海が普段着で、カフェのバックルームに立ち入っている。今日は日曜日だ。翌日は休日になるということから彼は、仕事が終わると新店舗カフェに顔を出す。三月からそのパターンが身についていた。
「あ、晴海さん、こんばんは。なんでもないんですよ、仕事のスケジュール確認をしていただけで、」
 妙な笑みを無意識に浮かべていたらしい。来たばかりの彼に指摘された文乃は、顔を引き締めて言葉を返した。閉店まで残り二時間ある。外は暗く人の行き来も減っている。カフェに留まる客数も少なく、夕食をかねて来ている人たち以外は、帰り支度をする頃だ。表に出る店員も一人で十分足りる店内で、文乃は奥まで下がっていた。
 一方、オーナーの湯川は、午後に本店舗へ戻っている。カフェの閉め方を知っている文乃は、残っている従業員とともに最後の戸締まりまで任されていた。出張指導をしない日というのも、一週間に一度あり主に日曜日がそれにあたる。この曜日だけは、文乃の都合で金曜日と代替えできるのである。
「そっか? 月曜日になんかイイコトあるじゃないの? 」
 晴海の推測は鋭い。月曜日はカフェの定休日だ。文乃は苦笑しながら手帳を閉じた。今では晴海が敬語を使って文乃に接することは少なくなり、趣味と働く場が同じの仲間に近い感覚だ。文乃の弟に性格が似ていて、少しスキンシップ過多なところも嫌いではない。
「いえいえ、月曜日は午後に個人指導があるから、ちゃんとしたお休みではないんですよ。あと夜に、知り合いが食事に来るくらいで」
「あ、仕事なんだ。したら大変なんだなあ。センセ、無理しないでね」
 仕事きつかったら、オレからオーナーに言えるから。
 晴海のやさしさに文乃はお礼を言いつつ、「ありがとうございます。でも好きでしていることだから、苦ではないんですよ」と微笑む。
 晴海たちのカフェにも貢献したい。それはつまり、出張教室の出来具合に直結している。文乃側から、カフェの宣伝をすることも真剣に考えていて、文乃が手持ちにしているメールアドレスには宣伝もかねて報告していた。
 以前文乃のもとで学んでいた人、学生時代の友人や知り合い、会社員時代の同僚や後輩などと連絡することは少ないが、とりあえず情報を流せば食いついてきたのが数名いて、今度遊びに行くという言葉を得た。感情論で遠ざけていた相手にも、結果的にはメールで宣伝報告をしてよかったと彼女は思っている。
 いまの文乃は、過去にたいする感傷をあまり持ち合わせていなかった。会社員時代に受けたストレスは、ほぼ抜け落ちたようだった。すでに会社を辞めてから二年は経っている。
「楽しかったなら、いいんだ。仕事は楽しめないと」
 晴海が腕の筋肉をほぐしながらそう言う。彼の言い分は、会社組織に入ったことのない人間の放つものだ。会社員がする大抵の仕事はおもしろいものではない。文乃も会社員時代の仕事内容を楽しめたことなどほとんどなかった。尾を引いたのは人間関係である。文乃はどう返答しようが一瞬考えたが、一般と立場の違う晴海に変な反論わしても仕方がない。経営側には、また違う負荷を持って仕事に望んでいることを知っている。今の文乃もフリーで働いているのだから、そちら側の気持ちも推し量ることができた。
「そうですね。体調には気をつけないといけませんけどね」
「マジ体力勝負なところがあるからな。オレが倒れたら大変なことになるし」
「本当ですよ、それだけはやめてくださいね」
「オレが倒れたら、センセに看病してもらおっかな」
「晴海さんが倒れたら、それこそ私はカフェに出ることになりますよ」
 晴海が病気になれば、カフェは本当に大変なことになる。彼は自ら名乗りを上げたこととはいえ、カフェのデザートをほぼ一手に引き受けているのだ。過去に晴海がインフルエンザにかかって頭を抱えたというオーナーである母親の話を聞いたこともある。不用意な病気を拾ってきたら、減俸ものだと晴海に言って叱ったという湯川の話を聞いて、母強し、と文乃は思ったものだ。それくらいでなければオーナーはやっていられないのだろう。次男の晴海は、人一倍楽観的な性格なのだ。
 確かにそうだ、じゃ文乃センセのためにも気をつけないと。晴海が朗らかに言いながら、裏の出入り口で戻ろうとする。日曜日の彼は、最近このカフェで夕食をとっていた。
「晴海さん、今日は帰るんですか? 」
 文乃が彼を見る。晴海が振り返って肩をすくめた。
「帰んないよ。正面から、カフェに入るの。センセをそのときは出迎えてね」
 ガチャリと簡易扉を開けて、彼は文乃の返答を待つことなく外に出た。律儀にドアの鍵を閉める音が聞こえる。晴海は時々、こうしたことをする。彼いわく、カフェを客観的に見ることができておもしろいから、という理由らしい。
 半月ほど前に、文乃も由実子と茅世を連れて、このカフェの客になったことがあった。晴海の言い分を今は理解できる。いつまでも手帳とにらめっこをしているわけにはいかず、文乃はバッグに手帳を戻して控え室から離れた。
 明日の夜は圭介が、仕事の後で夕食に来る。半分以上忘れていた彼の存在を仕事用のメールを見て思い出した。彼から数日前に連絡があったのだ。電話番号も彼のメールには記載されており、文乃は興奮のあまりついその電話番号へ回線をつないだ。圭介と話すことができたついでに、月曜日に夕食に来れるという言葉をもらったのだ。後から考えると、彼は小学校教師という職柄で四月初旬は忙しいのではないかと思ったものだが、キャンセルの連絡はない。帰宅際に再度メールを送る予定だ。茅世は明日の夕食を楽しみにしている。大喜びしていたのだ。文乃も薄々感じていたが、彼女にとって圭介がとりわけ好みだったらしい。
 晴海がニヤついていると指摘したことも、文乃は鋭かったと思いながら店内へ戻った。客は三組を残して皆カフェを離れたようだ。換算とした店舗のドアが開いた。裏から表に回ってきた晴海である。
「いらっしゃいませ」
 口にしたバイト店員が、パティシエの存在に頬をゆるめる。近づいて、パティシエじゃないですか、と晴海に近寄っていた。その姿を見てからお冷やを用意する。メニューも一応手にして、座席に座る晴海の側についた。今さきほどプライベートルームで見た相手である。彼は笑みを浮かべながらメニューを受け取り、「そういえば、あっちのカフェの佐織ちゃんが来たよ」という話をはじめた。文乃を仕事も多くない時間帯は、文乃や他の店員を離さないで会話を楽しもうとする。日曜日の夕刻以降だからできることだ。
 佐織は、このカフェの煎茶道教室に参加しようかなと過去に話していたが、本当にその言葉を実行していた。着付けの指導教室再開は、もう少し様子を見るようだ。毎週顔をあわす相手に文乃は感謝をしている。佐織は別段気にしていないが、カフェに携われることも、出張教室を開けたことも、すべて佐織がつないだ縁だった。彼女の紹介で出張教室に参加した人もいるし、彼女の旦那の従兄である下総も時々お茶を楽しみに訪れている。
 圭介にカフェの場所も物事の進展具合も伝えていない。同じように、圭介のことは誰にも話していなかった。秘密にしているわけではないが、茅世がつないできた初めての縁であったからかもしれない。

 
 午後二時から三時間近く個人指導でかかりきりになった後、料理づくりに取りかかった。今夜圭介が来るのは八時である。時間のかかるものは、午前中に出かけたスーパー後ですぐ調理をはじめている。夕食の献立は、冬瓜汁とカレイの煮付け、水菜とごまだれのおひたし、野菜の煮物とあさりの酒蒸しに、ほうれん草とかき卵の炒め物だ。肉料理をいれるべきだっただろうが、つい茅世の「魚料理が食べたい」発言に触発されてしまった。それに、冬瓜汁には骨付きの鶏肉が入っていた。事前にアレルギーがあるか、食べたいものはあるのか圭介に聞いてみたが、なんでも食べられるという答えが返ってきたのである。
「文乃、圭介さんはいつ来るの? 」
 廊下から足音が聞こえたかと思えば、茅世の声が後ろから聞こえてきた。台所に立っている文乃は声のしたほうに顔を向ける。彼女はすぐ隣に寄っていた。
「八時よ。あと、一時間近く後」
 彼が来るまで余裕はあるが、料理をつくる文乃は悠長な動きをしていられない。この夕食は茅世を二度も救ってくれたお礼をかねていた。
 茅世は、あと一時間後と復唱して台所を離れようとしている。いつもであれば食事内容をしつこく訊く茅世だが、今日はそうした様子が見られなかった。文乃は引き留めた。
「茅世、喉乾いてない? 」
「……うん、乾いてる」
 引き留められた彼女は、もごもごと言葉を返す。文乃は「お茶用意するわね」と言いながら、開いているガスコンロに薬缶を置いた。水は揺らせばいくらか入っている。
 茅世は言葉の後に台所を離れた。昨夜から少し様子がおかしい。昨年末から感情にムラがでていた茅世であるが、今日のような様子ははじめてだった。完全に別のことに気をとられている。
 それでも、圭介が夕食に来るという話は彼女の気抜けた部分を目覚めさせることになったようだ。圭介へのお礼として、たくさんの折り紙をつくり、文乃の甘味ものづくりを手伝った。文乃の用意した箱に動物園をつくる気のようだ。文乃は忙しく動き回っていたせいで、彼女の作業経過を見ていないが、何も言ってこないことを考えるとうまく言っているようだった。
 茅世の足音が聞こえてきた。
「玄米茶もうすぐできるわよ。熱いけど、氷いれる? 」
「うん、居間に持っていっていい? 」
「いいけど、湯呑み熱いわよ」
 料理は半分以上できあがっている。文乃も一息つこうと湯を注した急須を、ふたつの湯呑みに傾けた。
「ちいさいお盆はあるの? 湯呑み持っていきたいの」
「あるわよ。待ってね」
 文乃は台所から離れるつもりはなく、茅世も居間に留まりたいようだ。冷凍庫から氷を取り出し、湯呑みに入れる。彼女がお盆を使うことはほとんどない。お盆を渡された茅世は、そろりそろりと歩く。その姿に一抹の不安を感じながら、文乃は玄米茶を飲んだ。火が動くガスコンロに向き戻って、一品追加しようかと考える。じゃこと大根下ろしを用意するのもいいだろうと冷蔵庫を開けた。

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