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NO.40 雨音

10 23, 2011

 朝から長いこと灰色を抱えていた空は、暮れる間際で雨になった。
 払っても消えない水滴を避けるようにして、足早に歩く人々の群れが続いている。相馬は無意識下で形成される集団に交わるつもりはなく、濡れる雨傘をくるりとまわして身を避ける。前のめりに急ぐ世界から距離を置いているのは、なにも彼だけではない。休息日かそうではないか、カタギかカタギではないか、それは服装以上に歩くスピードやとりまくもので見えてくるものだった。
 渋谷の街は、平日にもかかわらず雨であろうと雷雨であろうと人があふれ、そして雨の日は雨の日なりのスピードでごったがえしていた。相馬がはじめて来たときから、この街はこのような感じだった。
 それでも、ある程度中心部から離れてしまえば、喧騒も一区切りがつくことも相馬は知っていた。目的地までは何度も坂に出くわすが、道の選び方でその長さも角度も違ってくる。人の密集率も雨水の流れも変わる。
 今日の雨は小雨というよりは幾ばくか強い。相馬は独り歩きながら思う。
 雨音は、調律さえすれば美しく響く打楽器に変わるのではないか。
 その音階を確かめたくて、彼はより静かなルートを選ぶことに決めた。
 水溜りを避けて、坂を登る。喧騒は瞬く間に霧散した。
 メインストリートをずっと進んでしまうと、やがて大きな住宅が壁のように連なってくる。ここら一帯の道は相馬の仲間内で、お屋敷ツアー、と、呼ばれていた。一般の住宅街よりも格段に静かで、それぞれの邸宅が一列になって孤立している。いっそ外部を拒んでいるかのようだ。見えない太陽はすでに落ちたはずだが、地上灯が雲に乱反射するせいでいつもより明るい。外灯の瞬きが黒いアスファルトに当たっている。
 坂を越えたところで、相馬は顔を上げた。雨に包まれた微かなピアノの音が聴こえている。
 どこかの家で、ピアノレッスンが行なわれているようだ。たどたどしく聴こえるのは、譜面とにらめっこしているからなのだろうか。聴き慣れた音階は、ピアノを嗜んだものにしかわからない痕跡を残す。練習曲でどれくらいのレベルかすぐわかるし、楽曲の出来次第で他に何が弾けそうかも憶測できる。奏者の好みとクセもあるし、ピアノの音は本当に正直だ。
 相馬は、雨に似合う音をかき集めるように、鍵盤の叩く重さを思い出していた。大学の授業が再開してから長らく、ピアノに触れていない。彼にとって長年付き合ってきたはずの楽器も、今では程遠い存在だ。昔はピアノのレッスンを逃げ出すことばかり考えていたが、いざ離れてみると無性に恋しくなる。
 時間を忘れるように歩いていると、今度は十字路の近くで立ち止まっている人が視界に入った。
 立ち止まるというより、突っ立っているという言葉が似合う。そんな様子だった。服装だけを見れば若い男のようで、公道とちいさな公園の緑の間に佇み、見下ろした雨傘が少しだけ前方に寄っていた。何かをかばうように、故意的に差された傘だ。
 少しだけ気になった相馬は、意識しながら横を過ぎようとした。
「……あれ」
 通り過ぎる前に、それがやたらとよく知っている人間だったことに気がついた。つい、驚きを声にする。男が視線を向けてきた。
「あ、そうちゃん」
 目が醒めたように紡がれた声は、慶太朗だということを明確にしていた。相馬は雨の薄暗いカーテンをかきわけて、彼の傍で立ち止まった。
「なにやって……て、あー」
 訊きながら、また下ろした慶太朗の目線とともに理由を知る。「あー」と、嘆息するしかないものがそこにあったのだ。
「コイツら、」
「……オレ、今日道選ぶの失敗したわ」
「おい、おまえ好きだろネコ」
「それとこれとは違うじゃん、どう考えても」
「確かに、……でもよ、」
 どうすればいい? という慶太朗の目が、正しいの答えをほしがっている気がしてならなかった。しかし、正しい答えがないから皆見ないふりをするのだ。
 えらく面倒なもんを見つけたな。
 段ボールでまるくなる、生まれたばかりの子猫というには成長しすぎている二匹の猫を見つめながら、相馬は慶太朗に言葉を投げた。
「どうしようも、こんくらい育ってんなら、雨でも死なないんじゃね?」
「……」
 ここらへん、ネコ多いし。縄張りの話を加えると話がもつれるだろうから、なるべく簡潔に答えた。
 その一方で、黙る慶太朗の気持ちもわかる。雨ということもあって、ちょっと立ち止まってしまった気持ちも相馬にはわかる。立ち止まったことで、なおさら後にも先にも引けなくなったのだろう。
 しかし、ここで置き去りにすることは悪いことではない。誰が悪いのか……突き詰めれば、この子猫たちを捨てた元飼い主だろう。その人間はすでに不在で、だからこそどうしようもないのだ。
「これが晴れだったら、逆に立ち止まんないだろ」
「……まぁな」
 ため息のように慶太朗が呟いて、それでも猫から目を離さない。相馬は半ば呆れつつ、猫をまじまじと見た。
 白と黒。同じ母猫から生まれただろうに、すっぱりと対照的な色だ。遺伝の神秘が二匹の猫に表れていた。しかし見えないところに白か黒の斑点でもあるかもしれない。そこまで考えて、相馬は気づいた。猫の兄弟は濡れていない。しゃがんで段ボールの内部をよく見れば、半開きになっている段ボールの中に、タオルや奥にはちいさな器が転がっていた。
「これ」
 相馬が指差した先は、立っている慶太朗には見えないらしく、彼もかがむ。
「これ、たぶんオレらの前に誰かやってるよ」
 それは、この段ボールを置いた人物でない何者かがほどこした形跡にしか見えなかった。
「……ほんとだ」
「ほらネコたち濡れてないし。ケイっていつからいた?」
「そんな、……一〇分くらい前か」
「思うんだけどさ、」
 相馬はちいさく息を吸い込んだ。まるくなって眠る二匹の猫は、触りたくなるほどかわいらしい。
「こいつら、たぶん大丈夫だよ」
「そんなもんか?」
 それで簡単に終わらせられるのかと、とがめるような慶太朗の視線が来る。相馬は、確信があるかのように立ち上がった。
「今、お母さんに交渉しにいってるとか、そんなんだって、絶対」
「じゃなかったら、」
「……また帰りにでも、どうなったか見にくりゃいいじゃん。ケイ、もう時間ヤバいって」
 雨音は止まない。
 きっぱりと答えた相馬の言葉に、信じる気が起きたのか、慶太朗も迷いながらではあるがうなずいた。今夜のゼミの集まりは時間厳守だ。同じゼミ仲間である慶太朗は、それをわかっているはずだ。
 相馬は子猫たちにバイバイとちいさく手を振って、未練もないような足取りで歩き出した。そうして、すぐ隣に追いついた慶太朗を見やってから、彼は呆れたように段ボールの場所へと振り返った。
「おまえさあ、」
「あれぐらいは、いいだろ」
 白く濁りがかったビニール傘は、段ボールのある場所を主張にしている。慶太朗が濡れ鼠と化す前に、相馬はバッグからもうひとつの傘を引っ張り出した。
「ケイ、今日ラッキーだぜ、これ」
「なんで二本もあんだよ」
「今差してんの、前にうちのサークルの部室で借りてったやつ」
 そこまで聞いた慶太朗は、なら有り難く借りる、と、相馬の折りたたみ傘を受け取った。傘のせいで距離がわずかに広がる。雲と地上の乱反射が終わったのか、ようやく空は真っ暗になって、外灯のあたたかさが煌々と揺れていた。
「ケイさ、」
 相馬は猫から離れがたく映った慶太朗に、彼らしさと彼らしくないなにかを同時に感じていた。思いついたまま秘密の暗号のようにもらした。
「……誰かと、重ねてたんじゃないの? 」
 拾われることを望みながら、まるくなる猫と誰かを重ねて……そうして、立ち止まってから動けなくなってしまったのではないか。
 長い沈黙のあと、慶太朗はため息をつくように応えた。
「んなわけ、ねーだろ」
 言い聞かすような声だった。その時点で、相馬と慶太朗の描く【誰か】が合致してしまう。ただ、結局はオレには関係ないことだ、と、相馬は思いなおした。野次馬根性はない。
「ま、いいんだけど」
 そんな風に断ち切って、雨音の奏でる世界は醒めるように終わりを告げた。車の通行が激しい大通りを急いで、無言のまま大学門を通り抜ける。研究棟のエントランスに着けば、「今日、雨のわりに寒くねーな」と、慶太朗が呟いた。


 帰路は行きと道を変えていた相馬は、メール着信音に気づいて携帯電話を取り出した。
 雨のやまない大通りを歩きながら、液晶画面を見る。
「よくやるよ」
 少し感嘆したような声で呟けば、傘をはさんで隣を歩く同ゼミの亜紀子が顔を向けてきた。
「なに、なんかあった?」
「や、慶太朗から、」
 簡潔に応えれば、彼女はすぐ興味を失ったようだ。
「なんだ、幸乃のイトコか」
「残念ながら、ね」
 メールには、子猫たちが傘と段ボールごといなくなっていたことが記されていた。
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