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NO.42 プリマステラ

11 28, 2011

 またこんな時間になってしまった、と、リカは闇がくすぶる空を見上げた。冷ややかな風を纏う世界は、静かに明るさを取り戻していく。時間をかけて空に溶けゆく星が、そのことを教えていた。
 夜が更けて、朝を迎え入れる。リカの予定では『明日』が来る前に帰宅できているはずだった。いつもうまくいかない。
 吐いたリカの息は虚空に霞んだ。演じることを生きる糧として選んでしまった以上、不規則で不安定でも仕事が来るだけましだった。リカの身に置く世界は容易くつくられていない。彼女はそれなりに評価される実力とあわせて強運も持ちあわせていた。容易くない道のりだが、比較的順調に歩いていた。人の入れ替えが激しい、華やかな物語だ。時おり、常に笑顔でいる過酷さを呪いたくなる。
 眠りが足りていないときの思考は、妙に冴えて気が沈むことばかりを考える。リカはそれが嫌いだった。睡眠と安堵を欲しているはずなのに、余計なことばかり考えてしまう。元々考えすぎてしまう性格なのだ。早く自室のベッドに潜り込みたかった。
 エレベーターの動作が、もう一度吐いた息と重なる。扉は正体を消すようにスライドして、目的の階に辿り着いたことを教えた。俯いていたリカは顔を上げ、ヒールのあるブーツで外の世界をまたぐ。
 また歩き出せば、共有廊下から雲一つない天上が見えた。おそらく明けた空は快晴だ。エントランスに入る前よりも明るさが増している。
 まるで、空が生きているように見えるわ。
 リカはぼんやり思った。微かに見える淡い陽が、今の自分には眩しすぎる。『今日』から置き去りにされた心地になって、少し胸が軋む。
 彼女の細い脚は、自宅の前に行き着く寸前で止まった。
 白い点をとらえたのだ。それは、明けていく空に負けじと瞬く星のかたちだった。鍵を出すのも忘れて、リカはその輝きに見入った。数日前、交わしたささやかな会話を思い起こさせた。
 ――あれは、金星じゃん。
 大好きな低い声が脳内に響く。リカにとって、その記憶は本当にささやかな一コマだ。夕方のことだった。仕事の帰り道で、同じように見上げたまだ明るい空に、強い輝きがひとつだけ空に印をつけていた。
 ――ソウくん、あれ。なあに?
 そう、子どもじみた質問をした。星だろ、と、当たり前の回答をされてむくれてみせた。その後で、彼が言ったのだ。
 ――アレ、まさか恒星じゃないの知ってるよな?
 苦笑しながら彼が教えてくれた星は、自分で輝かないで存在を主張する星だった。太陽に支えられて、愛されて光り続ける星だ。次第に溢れてくる幾千の瞬きの中でも、なお自分を見失わず気高く美しく太陽の寵愛を得る。
 その惑星の名は、金星だ。だから、ヴィーナスの名前を手にしたのか、と、リカは妙に納得した。そして、綺麗だと思った。
 ――なんか、いいなあ。
 そう見惚れて言えば、いいだろ、と、彼に軽く返された。笑いながらまるで自分もののような言い方をした。リカは、あの場面をずっと忘れないと思う。地球に宵と明けの明星が輝くかぎり、リカは覚えているのだろう。こうやって、見るたびに思い出す。
 羨ましいほどの庇護の下で輝く星を、一生まぶしく見続けるのだ。
 リカはその輝きに背を向けた。部屋の鍵を取り出して、差し入れる。ドアを開ける前にもう一度、星を見やって、やがて隠れていく瞬きと同じように、闇がひしめく部屋に滑り込んだ。

 金星を見つけてから、空を見上げる癖ができた。

 自らの力で光る必要のない惑星は、かぎりなく『永遠』を保証されていた。それが少し妬ましく思えていた。余計な感傷だ。わかっていても、リカは思うことを止められない。
 その一方で、地上の光はあまりにも脆い。
 夕刻迫る時間に終わる仕事で、一緒の帰宅路を行くソウが声をあげた。
「雲が多くなったな」
 ふと空に焦点を合わせていたリカは、自分の無意識の行動を諭されて気づく。視点を下界に落とした。
「夜半から雨になるんだってよ」
 ソウは生真面目に教えてくれて、彼女は曖昧に頷いてみせる。今夜は一番星を見つけることができない、ということだ。月もそれ以外の星たちも隠れてしまう。
 雲で隠れてしまって正解だ。リカは思い直した。もう、金星を探すのは止めよう。これ以上は哀しくなる。
 永遠に愛されることを保証された星と、保証もなく永遠もなく、近くに居てくれても不安になるばかりの自分と、比べてしまって痛いくらい哀しくなるだけだ。
 今も同じ仕事に色を染める彼の本心が、リカには計れない。
 互い演じることが得意な人間だった。幼い頃から憧れていて、職業にできた喜びはある。しかし達成感は程遠い。役者は成ることが目的ではない。成り続けなければならないのだ。
 時おり、リカは自分で自分がわからなくなっていく。自分が正しいのか、なにが正しい評価になるのか。誰かに縋りたくてたまらなくなる瞬間がある。
 私は、この職業に向いていないのだろうか。
 ソウくん。
 無意識に立ち竦んでしまったリカの身体は、止め処ない心の重圧から逃れるように名を呼んだ。先を歩く長身のソウが振り返る。
「なに、」
 してんだ。続けられるはずの言葉は飲み込まれた。闇の色を加えだした空は、二人の距離を隔てたかのような暗さを抱えていく。リカは数歩離れた先の瞳に宿る、彼の本当の顔を探った。ソウは困ったような、呆れたような表情で手をあげる。差し伸べるための動作だった。
「ほらー、リカ。雨に降られちゃうぞ」
 おどけた声で彼女を招く。ナーバスになっていた心は、それだけでたやすく溶けた。単純なものだった。大好きな低い声だ。
 安心したようにリカは闇を跨いで、またソウの隣に歩調を合わせた。手をつなぐ代わりに、ソウの上着をつかむ。同い年の彼は、大人びた笑みをした。道を進む。
「タクシーでも拾って、うまいもんでも食べに、」
「ソウくん、」
 リカは名を呼んだ。
「ん?」
 唐突の声にも、ソウはやさしい表情を向ける。自身の不安を伝えたいとリカの心がうずいた。しかし、彼女は自分の弱さを制して、明るく笑んでみせた。
「うん、なんでもない」
 一瞬訝しげに目を向けた彼だが、リカが屈託なく会話をはじめてしまえば、ソウの不安もすぐに消えるのだ。
 この弱さは、一生隠していこう。
 リカは決意した。口にしてしまっても、ただ哀しくなるだけだ。ずっと悟られることなく、この胸の引き出しにそっと閉まっておく。それがきっと最良の方法なのだ。
 この容易くない世界に生きようとする人たちに、他者の不安を抱える余裕はない。たとえそれがボーイフレンドだとしても、余計な負荷を与えるわけにはいかなかった。彼も同じように、遙か上を目指している。
 そして、今という『一瞬』を見失わないために、心の中だけにずっと仕舞うのだ。リカは隠れてしまって見えない一番星を想う。探すことをやめにしてしまう前に、最後に一度だけ心のなかで願った。

 たとえ輝くことに疲れてしまっても、また立ち上がれるように。ずっと、光を導いてくれますように。
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