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No.68 フェアリーテイル

02 11, 2013
 アスファルトの水たまりに、雨の名残が映っている。家を出たときより幾分外は明るくなったものの雲は薄く留まり、雨の匂いがわずかにしていた。まだ少し遠くで降っているのかもしれない。冬の雨としては思いのほか激しく、夏樹は出ようと思っていた時間から半刻ほど家に留まることを余儀なくされていた。雪ならば積もるほどの大きさだったろう。東京にその気温はもう当分訪れない。
 濡れた置き自転車をタオルで軽く拭いてから、夏樹は荷物も乗せて静かな街並へ繰り出した。意外に多い都心の坂道のまたひとつを越えていく。運動がてらにもなる、縫うような強弱のある通りは持ち前の探検心で完全攻略していた。最近の天気予報はあてにならないものだが、降水率が七〇%でも雨でなければ自転車を使うようにしている。特に今向かっている女友達の双葉の家は地下鉄を使うよりもバスのほうが近いし、それ以上に自転車のほうが勝手がいいのだ。都心のバス事情は救いようがない。渋滞に引っかかれば、それだけで時間の無駄になる。
 ちょっとした高台まで気合いと筋力で易々と登りきって、夏樹は一息吐いた。少し湿った空気は冬の中では久しぶりで、肌にやさしい。本日顔を見せていない空の青さを思い出すように見上げる。
 そして、意外な光に息を飲んだ。視界に開けた景色に突然存在している色から、夏樹は無意識に足を止めた。時が止まったかのように、それに魅入る。いつもの空に映されたものは、間違いない自然の奇跡だ。ただ純粋なままの美しさを瞳に染めた。
 行き交う人々も、気づいたそれにただ驚いたように顔を上げている。久方ぶりに現れた空のイルミネーションは夏より薄い色だが、フルアーチだ。変わらない日常の中で、不意に生まれた冬の虹。それは確かに此処に在った。絵画のようにくっきりと、主張するように、此処に在ることを皆に伝えるように、ただその迷いのない純粋さに夏樹は圧倒されていた。
「……すげー」
 本当に凄いと思う。人には決してだせない輝きだ。この滅多に出逢えない光の創造を、途端に誰かに見せたい。夏樹は衝動に駆られた。独り占めにはできない程の美しさを、誰かに教えたいと思った。
 その手段を思い出して、夏樹は慌てて携帯電話をジーパンから引っこ抜いた。そして、神々しいアーチに翳す。携帯電話にはカメラが内蔵されているから、偶然の産物を捉えるのは容易だ。そういう時に重宝するんだと妙に感心しながらピントを合わす。そのままボタンを押すと、軽やかな音が響いて、虹のかけらはどうにか小さな永遠の中に収まった。
 まだ消えない虹の下で、友人たちにこの感動をバラまこうと考えて、メンバーを厳選しつつ慣れた手つきで送信をする。満足して顔を上げると、行き交う人々はその虹に寄せた無意識の柔らかな笑みとともに、携帯電話を翳している。夏樹は自分と同じような動作をする通行人に、皆考えることは同じか、と、口許を緩めて再び虹に目を向けた。
 電話がすぐに着た。双葉からだ。
『夏樹、今どこなの? うちの近くだよね?』
「そうだよ。虹、まだ全然消えねーんだって。そっち見えてる?」
『うーん、外に出ればよく見えるかもって、早く来なさいよ』
 待ち疲れましたといわんばかりの声に、何も自分が悪いわけではないと夏樹は思いながら自転車を押しながら歩きはじめた。ただ多分相手も何もかもが夏樹のせいだとは思っていないだろう。
『もー地下鉄使いなよ』
「またチャリ取りに帰んのめんどいじゃん」
『なによ。明日だって、どうせここ集合なんだから』
 溜息混じりの台詞が聞こえ、別にいーじゃんかよ、と、ちょっとふてたように言う。すると、別にいいけどね、とあっさり返された。双葉も怒っているわけではないだろう。そもそも時間厳守ではない用事なのだ。
『あと何分くらいで来れる?』
「チャリ漕いだら五分とかかかるかも」
『じゃ、外であんたを待ちがてら、虹見てみよっかなー。まだ見れるんだよね?』
 こんな機会はないし、と双葉が付け加えた。夏樹は、マジ滅多にないから見とけよ、と繰り返して苦笑をもらった。
『好きだよねー、夏樹はこういうの』
「いいだろ、きれいなんだから」
『ロマンチストめ』
 それのなにが悪いのか。あの鮮やかさはどう見ても童心に返してしまう輝きがあるではないか。そう言っても、根っから現実主義者の双葉には呆れた顔をされるだけだろう。
『下で待っててあげるから、早く来なさいよ』
 合流してからコンビニ寄るから。やはり虹を見るためでも、夏樹を迎え入れるために地上に降りてくるわけでもないようだ。合理的な性格の双葉に息を洩らして、夏樹は切れた回線を閉じた。彼女にもちゃんと空を見てもらいたくて、いっそ自転車を手押して合流しようと思う。五分以上かかって文句を言われても、聞きなれている夏樹には痛くも痒くもない。
 いつ消えてしまうだろうと思いながら、虹にちらちら目を向けて道を進む。近づいても追っても、均等の位置を保つ光のバランスだ。
 メールの着信音が流れた。夏樹はすぐに、おっ、と声を洩らしてまた足を止めた。最近一人分だけ、密かに判別できるように音を変えたのだ。ごそごそと携帯電話を取り出し、メール画面を開いた。文面を見ると途端に嬉しくなる。笑顔のまま返信して、彼は虹の先をゆっくりと目指した。


 【だろ?】


 あまりに簡潔な文字が、液晶に載っている。それが示すのは、添付された妖精のしっぽのような鮮やかな架け橋だ。
 虹の写真がメールに綴じられて送られてきてから、遊衣が冬の虹だ、珍しい、きれいだね、と、返信して数分もしないうちに携帯電話がまた震えた。返ってきたのはたった一言でも、送ってきた張本人の気持ちの高ぶりようがわかる。
 誰かにその感動を伝えたいと思う気持ち。それくらいの神秘的な美しさを備えている。
 でも、だからって。
「なんか、夏樹のもんみたいになっとるし、」
 まるで自分が最初に見つけた宝物みたいな文句だったから、遊衣は文面を見つめながら呟いて頬を緩ませた。
 その輝きは誰のものでもなく、そして誰のものでもあって、……だからこそ夏樹の虹を見つけたときの気持ちも遊衣にメールを送ってきた理由もよくわかるのだ。彼女は液晶を閉じ、窓の外に広がる雨のあとを眺めた。そこに夏樹の見つけた七色のプリズムはない。
 次、虹を見つけたらうちも夏樹に写メを送ろ。
 そう思った遊衣の瞳の先では、足早に去らんとする白い雲と淡い空があった。日没にはまだまだ時間はたっぷりあって、日に日に色彩は増えていく。携帯電話を持ったまま、遊衣は窓を開けた。まだ寒いけれど、巡る季節の順序は変わらない。春は、近い。
 なんだか夏樹に会いたいな。そう思いながら、遊衣はまた無意識に彼が送ってくれたメールを画面を開いていた。
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