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No.73 南の皇女

06 15, 2013
 朝露が溶けた園で、東の女王はひとつの薔薇の花弁に触れた。他にもたくさんの花が咲く季節に、小ぶりの薔薇の感触を確かめたのは、彼女が単に薔薇を愛しているからではない。気高さと芳香に惹かれたわけでも慰められたかったわけでもなかった。
 その品種は、薔薇にしては少し貧相で、白に薄黄緑を重ねたような、見た者の琴線には触れそうにないはっきりしない色合いをして咲いていた。はじめてこの花園を訪れた者ならば、最後まで見落としてしまうかもしれない。薔薇ならば、この園にいくつも根を生やしていて、今は幾重も大きな花弁を広げている。ピンク、白、黄、深紅。さらに香りで存在を誇張する。
 女王はこの園に脚を踏み入れると、かならず草木と花々の色をゆっくり見回し確かめて、ひとつのか細い品種に寄り添った。その花が咲く時期は、外に出られない日でも一度は窓から花園を眺めた。
 今日は本来、朝から外に出る余裕のないほど激務の待っている日であった。女王は国そのものだ。城も城下も農作地も商工業も軍も、彼女の身にすべて責任という名で重く圧しかかっていた。女王になったのも、先代の王が父だったからに他ならない。彼女の意志や感情とは別に、生まれたときからすでに人生の歯車は動いていた。
 ただ、おそらく本当に素質がなく心の弱い女の子だったのであれば、王は彼女に国を任せることなどしなかっただろう。王は今、郊外の夏城に隠居している。ときどき、内外に不和が起こると家臣や学者に交え女王に助言しようとやっている。半分は親心みたいなものなのだろう。
 彼は昼前にやってくることになっていた。だから、それまでにしなければならない執務が山のようにあった。女王はそれを知っている。
 どうにかできるだろう。
 自分の感情とは関係のないところにある自分の素質へ、彼女は当たり前のように問いかけた。答えはイエスだ。女王は自分でも、なぜ自分の意思とは関係のない部分で、国としての正確な判断ができて、それがうまく作用するのかがわからないときがあった。古い家臣から言わせれば、「それこそが天賦の才能、素質というものです」ということだった。だから、ときどき素質に感情が追いつかなくなった。女王はそのたびに庭師につくらせた小さい園を眺めた。
 木製の扉が開く。石畳の階段を降りてくる男を、女王はチラと見た。重臣の部下だ。年齢は女王と同じくらい、二〇歳半ばを過ぎたくらいだろう。しかし、彼女のほうが老成している。
「女王様。南への外交について、早急に、」
 事務的な進言に女王は黙って頷いた。年老いた家臣たちは、女王が執務を投げ出して花園へ向かったのかを知っている。目的も手元にある薔薇だとわかっていた。だから、あえて何も知らない若い臣下に女王を呼ばせたのだろう。そのやり方を女王は責められない。本当は女王として、国をまとめていかなければならないのだ。
 隣接する南の国が傾きはじめている情報は、さまざまなところからはいってきており、ストッパーとしての役割が深夜に失われたことで、その加速度は日増し速くなるだろう……ということは、女王でなくとも国の中枢にいる皆がわかっていた。
 しかし、それでもまだ、素質に感情が追いつかないのだ。
「この薔薇の品種、南の国のものだと、知っている?」
 女王の問いかけに、国の制服を着た男はハッとしたような表情をした。何かを察したのは明白だった。それもそのはずだ。朝露が生まれる前の、まだ欠けた月が白く浮かんでいる時刻に、南の皇女が夭折したのだ。
 元々内政が腐敗していた南の国から王を追い出した一貴族が、皇帝を名乗った。彼は強引ながら合理的に国を動かして建て直した。上手に外交も扱った。はじめの十五年はすべてがうまく機能した。三十年経って、気づけば一人娘が彼の理性そのものになっていた。歳追うごとに皇帝の支配欲は露骨となり、国はまたおかしな方向へレールをはずそうとしていたのだ。そして、理性的な皇女にも東の女王と同じように国を統べる素質があった。
 ただ、彼女もまた、素質に感情が追いついてこなかったのだ。
 東の女王と皇女とで最も違っていたのは、人に恵まれていなかったということだ。病みはじめた精神と、狂いはじめた父親を強固な理性でコントロールしていた彼女は、やがて身体に病魔を飼って果てた。
 最期はあまり苦しまず、静かに逝ったのだという。それは、看取れもせず遠くでただ喪に服すしかない東の女王の、ちいさな慰めとなった。
 花弁に触れる。
 瑞々しい過去に、触れる。
 ……これは、まだわたしたちがまだ、ただの友達でしかなかった頃に、あの南の夏邸で、彼女からいただいたものだ。暦は春だったにもかかわらず、あすこはすでに夏の芳香が集まっていた。友達は幾人もやってきた。今は他国に嫁いだ者もいる。殺された者もいる。ただ、あのときのわたしたちは、ただの友達でしかなかったのだ。
 最後の日まで残っていたわたしに、彼女が友愛の印だと、ひとつの鉢をくれた。母の形見だという不思議な色のローズ。わたしは、城に戻ると自分のためのちいさな庭をつくってほしいと父にお願いした。城内の土地を少しわけてくださった。わたしのための園。庭師には、南の夏邸の庭をモデルにしてほしいと頼んだ。
 黙ったまま、家臣がかしずいている。女王は何もかも言葉にするのをやめ、静かに微笑んだ。花弁から手を離す。
 南の国は、無くなるだろう。東の女王の願いとは別に、女王としての先見の瞳が無常に未来をはじく。間違いなく、この数年で南の国は滅びる。
「明日の晩餐会は、かわらず行ないます。南に反感を買おうとも、気にする必要はありません」
「はい」
 忠実な僕に徹する男は、顔を上げて女王を見る。少しホッとした表情を見せた。彼女はそれに自分の役割を改めて教えられる。女王は、女王らしく……でも、ひとつだけ、自分のために、弔いのために。
「その晩餐会で、そうね。……パヴァーヌを、」
 世界を閉じて呟く。目蓋の裏には、あのときの薔薇園があった。その中で今も細い脚に包まれたブーツが何足もステップを踏んではしゃいでいる。
 どの手も次の手にしっかりとつながれ、その永遠はいつまでも続くのだと信じていた。
 それは、東の女王と南の皇女の胸に刻まれている。どんなに遠くても、この世と違えても決して失うことはない。かたちにはならない、二人にしかわからない大切な宝物だ。
「行きましょう」
 ふたたび世界を開いた女王は目元を緩め、そう言った。歩きはじめる脚に迷いはない。
 そして翌日の晩餐会では、彼女の大好きだったパヴァーヌが披露された。
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