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No.85 The star of Bethlehem.

12 25, 2013
 夕刻を過ぎて、店の営業時間が繰り上がっていることを思い出した真希は、慌てて教会を離れると近間にあったはずのスーパーマーケットを探した。今日は惣菜屋も肉屋もバールも、個人商店であれば午後を前にしてどこも営業を終えてしまっている。気の早いところでは昨日から早々とシャッターを閉めていた。クリスマスに向けた準備で、どこか田舎へ行くのかもしれない。この数日間で、最も重要なのは明日の正餐である。
 キリスト教に頼らない生き方をした真希にとって、この宗教はイベントに近い。現に日本で育ったときに、教会へ通ったこともこの信仰における主への経緯も意識したことはない。クリスマスはすでに家族というより友人や恋人と過ごす位置づけであり、家族で過ごすのは中学までで卒業した。
「あ、あった。よかった」
 自動ドアから明るく注ぐ光に、真希は白い息を吐き出した。独り言は母国語だ。石畳の固く冷たい道を踏みしめるように歩く。さきほどまでシルクの糸のような雨が降っていた。閉じた折りたたみ傘をビニール袋に突っ込んでいるが、もう持っているのも邪魔だ。歩くたびに肩にかけたポシェットが揺れる。
 早々と主を祝うために天を染める地球の軌道の意図を、街も汲み取ったように早々とイルミネーションの電飾に灯りがついた。歩くたびに突き当たる教会に入って出てを繰り返すぶんだけ、時間を介して印象を変える世界に、真希は気持ちが高揚していた。そのおかげもあって、スーパーマーケットへ寄ることも忘れていたのである。
 野菜売り場が覗く店内へ入ると、幾人もの観光客が目に付く。旧市街の中でも、ここらはミュージアムや高級アパルタメントがひしめく地区だ。路地を一人で歩いても危険はないが、全体的にやや価格が高い。しかし、今日は油断が禁物だった。安いスーパーを探している余裕はない。でかでかと張られた色画用紙には、手描きで今日の営業時間が描かれてある。あと半刻で閉まるらしい。
 より奥に入れば、地元客も忙しく品物を見てカゴに放り投げていた。真希にも今は観光客と在住者の違いが明確に判別できる。おそらく……真希も地元の人間から見れば、在住者の枠にはいるだろう。この土地でのクリスマスは三度目だ。
 パン、白ワイン、惣菜、と、いつもセットでは買わない内容を、今日はまるで地元気取りの観光者のように買い揃えた。この国の言語の使い回しはよくわかってきた。そわそわしている店員に、ガラスケースから欲しい小魚のマリネ、オリーブを頼む。パンは種類を伝えてスライスしてもらった。チーズは一昨日散歩がてらの朝市でお気に入りのハードタイプを買っている。まだ半分は残っているので、それをワインとともに楽しむつもりだ。今夜は肉を食べない。イヴに肉料理は食べない。そうこの国の慣習を同居人が話していたことを、真希はよく覚えている。
 小魚のマリネは少ししか残っていなかったが、真希の欲しい2エット(200グラム)をタッパーに入れてもまだ、いくつかの切り身が大惣菜皿の中を泳いでいた。黒髪に濃い化粧を施した女性店員は、もうあと少しなんだから全部入れていい? と言いながら手を動かしていた。
 大きな白い深皿を傾けて、全部が入ると2.8エットになった。真希は端から諦めたように微笑んだ。いつもと変わらない彼らの流儀だ。銀の機械から出てきたシールを張られ、すべての惣菜を渡される。Buon Nataleという彼女の言葉に、真希も同じように返した。余ったら翌日、同居人と一緒に食べればいい。そのときは赤ワインとサラミなどが出てくるだろう。
 その前に、パネットーネ地獄が待っているかも。
 真希は家に積み重なっているケーキ箱を思い出して、苦笑しながら最短の帰路を選んだ。夜の21時を過ぎるとバスも地下鉄も大半が沈黙する。ただでさえ運行時間というものに秩序がない交通機関をあてにしてはいない。一瞬、最も美しい大聖堂の広場か噴水の広場へ寄ろうと思ったが、スーパーマーケットから地下鉄への道のりですれ違う人は、先刻より明らかに減っていた。家の周辺の通りは一層の静寂に包まれているだろう。
 人の少ないホームと車両、どちらもすでに物乞いや大道芸人はいない。今夜から明日くらいは彼らも休暇をとるのかもしれない。質量の増えたビニール袋を持ち替えて、改札口にカードを通す。地元駅は思った通りの静けさだった。
 この欧州で今の時刻も働いているひとたちは本当に偉い。そう思いながら、真希は一人で歩く。ポツン、ポツンとそびえる外灯以外に生きものがいないようだ。かと思えば、明かりのついた窓の奥から笑い声がかすかに降りてくる。車のまったく通らない大通りを、白い猫がスキップするように横切った。これからこの土地の人間たちと同じように、イヴを祝う会に向かうのかもしれない。
 古い手動のエレベーターを使うと、建物じゅうに機械音が大きく響いた。四階の大きく堅い玄関ドアは、鍵を2本使う。真っ暗な部屋は、色彩に反して温かかった。冬のアパルタメントはセントラルヒーリングが効いている。その温かさにホッと息をつきながらスイッチを押した。
 暖色の間接照明が、恒星の明かりのように数箇所で瞬いた。リビングの窓寄りにある木製のダイニングテーブルは六人掛けだ。そこに、また大きなパネットーネの箱がドンと鎮座してあった。真希はすぐにテレビ横下を見た。ここにはすでに準備されたパネットーネが四個積まれている。あれは、ひとつ1キログラムと知っている。今朝の時点で四つだったのだから、真希が出かけている間に同居人がひとつ追加したのだろう。
 文字通り、明日から年明けまではパウンドケーキ地獄だ。すでにこの土地のしきたりに沿って、菓子パンまみれの朝食で生活している真希だが、この箱には苦笑するしかない。しかし、二人で2日にひとつのペースでなくなるのだからすごいものだ。同居人が「アナタのように痩せる方法はないのか」と3日に一度は言ってくるが、真希が講義しても無駄である。復活祭までのすべてのイベントごとに、パネットーネのようなすべて高カロリーなドルチェが振舞われる。それが、この国のしきたりなのだ。真希もこの国に住んでから4キログラム太ったことに、もう諦めがついていた。
 テーブルには、それと他に紙があった。スーパーマーケットで見たのと同じ色画用紙だ。同居人の大きな文字がある。なるべく明日の午後には帰ってくるから、ナターレを一人にさせてごめん、Buon Natale。読み上げた瞬間に、携帯電話が鳴った。読んだ途端に書いた本人と通話だ。それでは置き手紙の意味がない。
 真希は笑みを浮かべながら、彼女の声を聞いた。真希の心情とは別に、彼女はとても申し訳ないように、文面と同じようなことを言った。それは置手紙よりも心がこもっていた。騒がしいBGMに、彼女の置かれた楽しい状況を思い浮かべて、気遣ってくれてありがとう、と返した。Buon Natale。
 そして、テーブルを真希の色に染めた。ランチョンマットの上に、スーパーマーケットで揃えた品々、冬のおかげですでによく冷えた白ワイン、スライスされた硬いパン、サラダとオリーヴオイル、塩、バルサミコ酢。フォークとナイフを使うことが当たり前になっていた。グラスにコルクを抜いたワインを注ぐ。銘柄はわざわざこの街の州のものを選んだ。
 去年一昨年と、真希は同居人や数少ない友人に連れられてクリスマスを楽しんだ。今回は一人きりだ。真希は独りでいることも嫌いではなかった。特に今年は5日前まで日本へ一時帰国していたのだ。戻ってからは毎日外へ出て教会を巡った。クリスマスマーケットもちゃんと覗いて、街のイルミネーションもちゃんと眺めて、友人と会うよりこの時期にしかないこの土地の様子を見つめた。一人でこの土地に向き合う時間も大切だった。今回は、一人でこの日と向き合ってみたかった。もしかしたら、今年が最後になるかもしれない。
 テレビをつけると、昼間に通った旧市街の風景が広がっている。これから教皇が姿を見せるのだろう。静粛で美しい言葉たちが、天を翻すのだろう。音量は少し大きめにして、真希はこの土地の主に祈ってワインを飲んだ。温かい部屋で飲むワインほど、朗らかに身に染みるものはない。少しマリネを食べて席を立った。忘れていた。この夜に読みたいものがあった。
 真希は自室に行って、先日トランクケースに詰め込んだ絵本を一冊、棚から取り出した。タイトルは『ベツレヘムのはちとゆり』。この国に住んで根付く宗教と信仰に少し関心を持ちはじめて思い出した。幼い頃の記憶。だから、一時帰国のときは忘れずに実家から持ってきたのだ。
 席に着く。テレビから歌のようなものが聞こえる。絵本を開いた。表紙同様、切り絵のような布の柄をあわせてつくった絵とともに物語ははじまる。イエス・キリストの生誕までのものお話だ。
 真希が生まれてはじめて、キリスト教というものに触れたきっかけの本だった。あのときはまだ小学校に入るだいぶ前で、物語というより淡くやさしい絵と世界に惹かれた。好きな物語のひとつだ。
 この国にあるたくさんの教会で、この絵本と同じ内容のモチーフが飾られている。それはプレゼーピオと言って、毎年真希を魅了した。ワインを飲みながらページを開く。東方の三博士が歩いている。幼いときに広がったイマジネーションがより鮮やかに進化して、大人になった心へ染み込んでいく。忘れなかった風景。はじめて手にしたとき、この絵本はまだ幼い手に少し大きかった。
 絵本の終幕を右手でおさめると、もう一度翻してベツレヘムへ想いを馳せた。テレビの中で暖かい光が瞬く。窓の外の星はより白くちいさい。表紙がまた開かれる。真希はオリーヴを摘んで、ひらがなとカタカナを目でなぞる。御子を慈しむように、もう一度ページをめくった。
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