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No.86 明ける夜

01 16, 2014
 夕飯時にテレビをつけたら、人気芸能人の飼っているペットの話とおすすめのトリミングスポットがニュースの合間にはじまった。その瞬間にテンションが落ちて、ご飯を食べる気がしなくなったというのに、リモコンを消した柚希の気持ちに察せない弟の辰之助はリモコンを姉から奪うと再度つけて、母親に「次飼う犬の話」をしはじめたのだ。柚希の気分は最悪なものになった。
 だからといって、柚希は辰之助みたいにすぐ喚いたり泣いたり、人に当たったりなんかできない。母親が「まだ、その話はちょっと経ってからにしようね」と、辰之助を制してくれなかったら、ご飯を半分残して自室の布団に籠もったかもしれないが……どうせそんなことをしても自分の部屋は辰之助と同じなのだ。柚希が中学生になるまでは二段ベッドの下段と学習机だけが自分のテリトリーだ。逃げ込む場はないに等しい。
 駆け出しても悲しくても、大好きなニーナはもういなかった。
 パピヨンのニーナが天国へ旅立って、六日が経っている。あっという間だと思うけれど、亡くなったのはまだ先週のこと。柚希は時間の経過を上手に計る事ができない。ニーナの死因は心臓発作とかナントカでとても急だった。でも十一歳を越えた老犬の域に、なにが起きてもおかしくはない。友達の歩乃夏のチョコちゃんはトイプードルだったが、去年十歳になる寸前に亡くなった。亡きペットがお菓子の名前だったせいで、半年くらい「チョコ」という単語に歩乃夏は影のある反応を見せていた。
 柚希の亡くしたニーナは、母親がなにかの映画で名づけた飼い犬だったから、その映画さえ見なければ悲しみは生まれない。でも、テレビや雑誌や友達の話なんかでペットの話題は簡単に出てくる。気づけば少しずつ悲しみは積もり、夕飯時のような弟の無邪気さが柚希の悲しみに追い討ちをかけた。さっきも母親が「タッちゃんの好きなアニメの時間じゃないの?」と言いながらチャンネルを変えてくれなかったら、柚希の悲しみの器は満杯になっていたかもしれない。
 どうにか柚希は平静を保って、少年アニメのやかましさとともに夕食を終えた。立ち上がって食器を流し台に戻す。いつも足元に駆け寄ってくるニーナはとうにいなかった。ソファーに座るとその代わりのように弟が柚希の隣へ乗り込んでくる。
「タッちゃんも、コップくらい片付けなさいよ、もう」
 母親のやさしい声を無視して辰之助は柚希に、話をはじめた。パクパクと魚のようだ。小学二年生に、大切なものの死という概念はないのだろうか。ムッとしながら押しのけても弟は笑いながら邪魔をしてくる。いつも弟とニーナはソファーに座る柚希の邪魔をしてくるのだ。
 ニーナは人間ではなかった。でも、柚希にとっては妹のような存在だった。ニーナがいなくなって寂しい。今この瞬間に邪魔をしてくるのが辰之助だけになってしまったことは、妙にまた悲しみを引き連れた。柚希は弟の前で涙を見せたくなかった。感傷を振り切るように弟のちょっかいに、ちょっかいで返す。辰之助が笑う。柚希もつられて笑ってみる。
 それに辰之助はさらに気をよくしたのか、ゲームをしようよと言い出して、柚希は仕方なく付き合った。苛立たせたり悲しませたりする弟だが、また苛立ちや悲しみを紛らわしてくれるのも弟だった。
 姉弟がテレビを見ながら遊んでいる間に母親が湯船を用意して、先にお風呂にはいってちょうだい、と促される。その間に母は弟の宿題を見るのだ。柚希が出てくれば、入れ替わるように辰之助と母親がお風呂にはいる。父親は今日出張だというから、二人がお風呂から出てくるまでは一人きりの時間になった。テレビ音のないリビングは静かだ。いつもであれば、こうしたときにニーナが尻尾を振って柚希のパジャマの上に乗った。そして、シャンプーやボディーソープの匂いに埋もれた柚希の匂いを見つける。くすぐったくて楽しい一時だった。生まれたときから当然のように、それが柚希の日常だった。
 もうニーナはいない。いなくなってとうとう一週間。ちょっとだけ慣れた気がしたのに、ふとした瞬間に柚希の心は悲しみを引き寄せる。早く慣れたいと思う。おねえちゃんなんだから。いろんな場面で弟が誕生したときから使われている母親の言葉を、自分の言葉でリフレインする。
 私はおねえちゃんなんだから、しっかりしないと。
 柚希はソファーを離れた。静かな廊下を通って子ども部屋に明かりをつける。ランドセルから宿題を取って、リビングに戻るとご飯を食べていたダイニングテーブルにそれを広げた。今日は国語の漢字練習がメインだから、難しいことはない。二枚のプリントとノートは一ページ分。漢字をひたすら書いていると気持ちは平面化される。勉強は感情を使わないからいい。事務的に頭を使えば終わるのだ。
 お風呂のドアが開く音を耳にした。足音はこちら側に向かっていないということは、弟を寝かしつけに母親が同伴しているのだろう。母がようやく戻って来たときに時刻を見ると、九時を過ぎていた。
 片付けやなにやらに動く母親を尻目に、柚希は字を何度も何度も書いて宿題を終わらせた。弟とニーナがいなければ、柚希の自由時間は増える。宿題も邪魔がないから気楽だ。しかし、ノートや筆記用具をテーブルの脇に片付けると、リビングはまるでがらんどうのようだった。テレビの液晶画面は吸い込まれそうなくらい黒い。
 辰之助が就寝しても、柚希が寝るまでニーナは当然のように寄り添ってくれていた。弟がお風呂にはいっているときと宿題が終わった後のぼーっとする時間は、ニーナとじゃれあって遊ぶ時間だった。今も宿題を終えてぼーっとする時間なのに、大切な相方がいない。
 昨夜はどうやってこの時間を乗り切ったのだろう。昨日は宿題が多く時間がかかってしまって、終わってからすぐに寝た気がする。一昨日は放課後のクラブが長引いて、帰宅時間から宿題・食事・お風呂とあっという間に時間が過ぎた。その前の日は友達と日が暮れるまで遊んで帰宅が遅くなっちゃって、だから、その前の日は? ……もういいよ。柚希は記憶を制した。後ろを振り返れば振り返るほど、思い出したくない時間に近づくのだ。
 柚希は前を向いた。一人でもやっていける。ソファーにもう一度移ってテレビをつける。幸いにも気晴らしになりそうなバラエティー番組がやっていた。ペットがらみのことがはじまったら、すぐチャンネルを変えるつもりだ。この時間から邪魔ものはいない。
「ユズちゃん、もう寝たら?」
 そう言われても柚希は動けなかった。歯ブラシ、歯磨き、うがい、明日の用意、その手順を考えながら目をつぶる。まだ少し時間が欲しい。母親は急かす言葉を続けなかった。代わりにソファーの横が重みを受けた。母親が柚希の隣に座ったのだ。 柚希は意識なく彼女の身体へ寄りかかった。テレビで騒ぐ声ばかりが聞こえる。なにがそんなに楽しいのだろう。現実が乏しい。
「いないと、寂しいわね」
 母親の声は一〇畳の居間に響き渡る。この場所になにが欠けているのか、柚希は聞きたくもなかった。
 すでに柚希の胸には欠けている大きなものがある。弟のように気づかないままでいられたらどれだけ楽だろうと思う。柚希は母親の胴に腕をまわした。大人の温かい手が柚希の身体を抱き寄せる。
「寂しい?」
 問うような一言。返答はきっと求めてはいなかった。学校から帰宅してニーナが亡くなっていたと知ったあの瞬間も、亡き骸を見たときも、たくさんの家で愛されたペットたちが眠る共同墓地に葬られたときも柚希は泣かなかった。代わりにベッドの中で泣いた。暗闇に一人でいると自然と涙が出た。
 寂しいのではない。ただ、悲しい。柚希は、ニーナを失って本当の「悲しみ」を知ったのだ。涙では足りない。言葉でも足りない。この悲しみに出口などあるのだろうか。柚希は入り口にはいったばかりで、まだ右も左もわからない。
 目をつぶって母親の身体に顔を埋めれば、暗闇が生まれ涙が自然と出ていた。泣きだしたのを察したのか、母親は宥めるように背中をさすってくれる。大人の温かい手。言い聞かせるような声がもやの奥で届く。
「人生は、楽しいだけじゃないのね。でも、悲しいだけでもないのよ」
 しゃくりあげる柚希の身体が落ち着くまで、母親はソファーから動かなかった。 
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